クリップ: ドキュメンタリー映画「Why We Sing!」から
We’re Not Lost We’re Here – San Francisco Gay Men’s Chorus
160のコーラス隊5000人のシンガーが参加した、国際LGBTコーラス大会での演奏の模様とインタヴューを通して、LGBTコーラスの30年の歴史を振り返り、現在抱える問題を問いかけるドキュメンタリー。
ナレーター: サンフランシスコ市長ギャビン・ニューソム
Why We Sing! なぜ私たちは歌うのか
http://www.whywesing.org
– – – – – – – – – –
“If a bullet should enter my brain, let the bullet destroy every closet door.”
– もし弾丸が私の頭を撃ち抜くとしたら、その弾丸がすべてのクローゼットの扉を壊すだろう – ハーヴィー・ミルク
ハーヴィー・ミルクが「希望のスピーチ」を掲げてアメリカ全土を巡っていた、ゲイ民権運動の1978年。音楽家Jon Reed Sims / ジョン・シムズはミルクの声に応えて、ゲイフリーダム・マーチングバンド、バトントワラーチームを編成した。同時にゲイコーラス隊の編成を始め、1978年10月30日に最初の練習を行った。「ゲイコーラス」の名前で、社会からの偏見を恐れて公の参加を躊躇するメンバーも多くいた。
しかし彼らの本番はまもなく予期せぬ、そして悲しい形で訪れた。最初の練習から一ヶ月後の11月27日、ハーヴィー・ミルクとジョージ・マスコーニが市役所で殺された。その夜、市役所の前に100人のゲイコーラスメンバーが集まった。100の声が 「Thou, Lord, Our Refuge – 主よ、あなたはわれらの避難所である」を即興で合唱した。彼らの初めての公の場での合唱だった。ミルクの死が、SFGMC / サンフランシスコ・ゲイメンズコーラスに産声をあげさせたのだ。
1980年後半から1990年末、AIDSエイズによってSFGMCは多くのメンバーを失った。この時期の演奏会では、エイズの危機を一般に知らせるため のフォーラムや、亡くなった人々への追悼が行われた。メンバーにとって、情報の交換や支え合うことの出来る、数少ない場所のひとつとなった。家族から見放された人々にとって、コーラス隊は本当の家族の役割を果たした。
SFGMCは世界で最初のゲイコーラス隊、現在世界で最も大きな組織だ。世界のLGBTコーラスコミュニティーから、愛情を持って「grandfather/おじいちゃん – 創立の父」と呼ばれている。まだ他にLGBTコーラスが存在しなかった当初、SFGMCは地元での演奏の確立と、教会での演奏の法的許可を獲得する活動を進めた。1981年にはLGBTコーラスを全国に広めるために、レコード「The San Francisco Gay Men’s Chorus Tours America 1981」を発売し、全米9都市への演奏旅行を行った。
1981年のレコードと演奏旅行に影響を受け、米国各地や海外にもゲイコーラス、LGBTコーラスが出来始めた。ワシントンDC・ゲイメンズコーラス、ボストン・ゲイメンズコーラス、バンクーバー・メンズコーラス、メルボルン・ゲイレズビアンコーラスなどを皮切りに、1982年には米国、ヨーロッパ、オーストラリアなどのほとんどの主要都市で編成された。現在世界のLGBTコーラス隊は250以上にもなるとされている。
SFGMC / サンフランシスコ・ゲイメンズコーラス
http://www.sfgmc.org
参照:
http://en.wikipedia.org/wiki/San_Francisco_Gay_Men%27s_Chorus
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/11/29/DD2K14CNRS.DTL
– – – – – – – – – –
映画「MILK」とLGBT/GLBT活動に関する記事一覧
https://100voices.wordpress.com/milk