1969年11月12日
ポール•ニューマン、ベトナム戦争への抗議
この戦争がこんなにも長く続いているのは、アメリカ人の大半が「痛み」を感じていないからです。いつもと変わらない生活が続き、私たちが過ごす日々の中には「痛み」はありません。私にはこの戦争がわからない。「痛み」を伴わない戦争などというものが。アメリカ人の大半がなんの影響も受けずにやり過ごせるのなら、もちろんこの戦争はずっと続いて行きます。
私たちは私たちにできる唯一のこと(反戦告発)をしているだけです。ほんとうに単純な、良心からの行動です。私たちの行動を不快に思う人々には申し訳ないけれど、でもたぶんその事がこの行動の真の力なのだと思います。
私たちは戦争停止のためのテーマのひとつ「いつもと変わらない生活ではない」ことを支援するためにここに来ました。
私たちは役者です。でも役者になった時に市民権を返上するように言われた覚えはありません。ですから私たちは今日ここで「市民」として抗議します。ベトナム戦争の悲劇に対して抗議します。みなさんに敬意を持ってお願いします。11月14日に映画を見に行かないで下さい。(役者である私たちへの賛同の意味で映画をボイコットしてください)
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“Newman’s Own Politics” by John Nichols
http://www.thenation.com/blogs/thebeat/365464
ベトナム戦争初期、ポール•ニューマンは反戦活動を展開した。68年マッカーシー候補、そしてマクガバン候補の有力な支援者だった。その多大な影響力から、ニューマンはニクソン大統領の「敵リスト」の上位にマークされていた。
(中略)食品会社「ニューマンズ•オウン」は、ハリウッドとウォールストリートの誰よりも多額の慈善団体寄付を生み出していた。が、彼の政治への献身は薄れなかった。民権、婦人の権利、同性愛の権利の擁護、核兵器廃止運動、そして戦争と軍事に対抗する候補を選出するための援助を惜しまなかった。
革新的な活動や候補へ支持は絶え間なかった。主に民主党へ。しかし72年の共和党候補選出戦でニクソンに対抗した反戦支持マクロスキーへの支持、2000年の緑の党ネーダーへの支持にも力を注いだ。2006年の民主党候補戦では、リーバーマンに対抗したラモントを支持し、自ら書いたシナリオを使って有権者への電話ボランティアに参加したほどだ。
今年、ニューマンはオバマの選挙キャンペーンへ、上限いっぱいの献金を行っていた。
ニューマンの生涯には、多数の友人と、普通の人間が持つよりもずっとわずかな敵がいた。彼の広大な博愛活動は、ほとんど彼に金銭利益をもたらさなかったが、人々からの多大な賞賛を得た。だがニューマンは「敵」であることが誇りだった。
「ニクソンの『敵リスト』の上位ランキングは、私にとって最上級の栄誉だ」