This Brave Nation – この勇敢なるアメリカ
(全編)活動家対談シリーズ第二話「ボニー・レイットとドロレス・フエルタ」
http://bravenation.com/bonnie_raitt_dolores_huerta.php
大学時代、音楽は趣味でした。Social Activist社会運動を生涯の仕事にしたいと思っていました。若い頃、労働組合運動のために歌っていたピート・シーガーやジョーン・バエーズ、そしてボブ・ディランやウディー・ガスリーにとても大きな影響を受けました。
私の家族はクエーカー教徒で、叔父はAmerican Friends Service Committeeアメリカ友会奉仕団の平和委員長でした。私は地域の平和運動活動をする家族の中で育ちました。マーガレット・ミードのように世界を旅して、植民地化が及ぼした世界各地への悪影響を逆行させる/消すような仕事がしたかった。
そして大学時代に趣味で音楽を始めました。スターになろうなんて思っていなかった。ショービズのゲームの中で暮らす人生を送るつもりもなかった。父(John Raittはブロードウェイのスター)は芸能人で私たちの家族はショービズの中にいたのですが、両親がそれに溺れなかったことに感謝しています。
大学の最後の年、学園祭などで演奏していた時、偶然が功を奏したと思うのですが、レコード契約の話が持ち上がり、趣味が本業になりました。その偶然が功を奏したことは、私の社会活動にも当てはまります。私はずっと自分が尊敬する音楽家/活動家の行動に習って活動してきただけなのです。
– – ボニーは8回目のクリスマスプレゼントに、ステラ・ギターをもらった。
– – デヴュー・アルバム「ボニー・レイット」は1971年に発売された。
– – 以来彼女は9つのグラミー賞を獲得し、何百万枚ものレコードを売り、ロックの殿堂入りを果たした。
一番素晴らしかった思い出は、17歳の時のインデアナポリスの地域共同体活動です。アメリカ中から集まった15人程のティーンエージャーたちと一緒に、人々の家を訪ねて社会意識や問題へのアンケートをとり、午後は高齢者の家のペンキ塗りやガレージの修理をしました。インデアナポリスの白人貧困地区の人々は、隣接しているにもかかわらず、黒人地区との交流が全くありませんでした。
私たちは人々の家を訪ねる時に、意図的に白人と黒人の二人組で訪れました。私たちのプロジェクトが終わる頃には、白人黒人両方の共同体の牧師たちが協力し、二つの共同体が会って話し合い、ひとつの団体となって、社会問題への声を上げる様になりました。この空き地を公園にしよう、信号を増やそう、警官を増やそう。分離した小さな共同体にはできないことが、合同した大きな共同体には可能だということが、みんなによくわかりました。この時の経験が、私のそれからの人生の価値感を大きく変えました。
共同体として歌うことや教会で歌うことは、とても大事なことです。ミュージシャンたちは心/魂に語りかけることが出来ます。社会問題に対して、言葉で語ることも大事ですが、音楽や芸術で語ることも大切です。ミュージシャンたちと活動家たちのコミュニティーには素晴らしい連帯があります。詩人や演劇のコミュニティーもそうです。労働組合運動の長い時期や恐慌の時代の動きを支えて来ています。父が良く話していました。大恐慌の時代、これらのコミュニティーがいかに団結していたかを。
振り返ってみると、当時女性にしては珍しくギターが弾けたことが、プロの世界への扉に繋がり、スライドを弾くことで他の女性歌手と違った存在でした。ブルースと正義への情熱がありました。プロになれたのは、今思うと本当に良かったです。私は社会のために、今まで不当に扱われて来たブルースアーティストたちに、何かしたかった。プロになれたことで、偉大なブルースミュージシャンたちから直接音楽を学び、そして彼らが生きて来た人生、黒人として差別されてきた歴史を聞くことができました。
– – 1988年、ボニー・レイットはRhythm & Blues Foundationを設立した。彼女にとても多くを与えてくれたR&Bの先駆者たちの世代へ、彼らの著作権の改善と経済支援と、そして彼らの存在の認識を高めるために。
現在、音楽の世界もインターネットのお陰で民主的になっていると思います。CD制作費が激減しているし、ラップトップがあれば音楽も映画も個人ですぐに作れます。ガレージバンドがあれば楽器が弾けなくても自分の曲を録音したり、詩人やラップアーティストになれます。YouTubeやMySpaceで自分の作品をすぐに世界に公開することができます。すばらしい時代です。政治的な活動もできるし、自分の意見も出版できる。25年前には想像もできなかったことです。
30年前の「No Nukes – 原子力反対」運動は草の根活動でした。マディソン・スクゥエア・ガーデンで5夜ソルドアウトのコンサートをしました。映画を作り、二枚組アルバムを作りました。バッテリー・パークで集会をしました。あの時は映画の配給にも苦労したし、レコード会社にも政治色が強過ぎると言われました。現在、原子力反対の署名を集めるプロジェクトがたった2, 3週間でできてしまいます。ネットで行った「NukeFree.org」キャンペーンで12万の署名を集めることが出来ました。映像もアップされ、これを見た人々は地元の議員に電話やメールをしました。現在このような社会改革キャンペーンが、無数に展開されています。インターネットのお陰で、社会改革運動のやり方が大きく変わりました。
現在若者の世代に、自分たちの責任を果たそう、という動きが起こっています。地球にたいする責任。それには犠牲が必要です。政府は犠牲を求めませんが、ほんとうの改革には犠牲が必要なのです。戦争、恐慌、私たちの両親の世代は犠牲を払って立ち上がってきました。それが私たちの伝統なのです。「me – 自分」中心に考えることは、そろそろやめなければなりません。
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This Brave Nation – この勇敢なるアメリカ、活動家対談シリーズ
http://bravenation.com
5回に渡る対談シリーズは、現在随時web公開が開始されています。
http://bravenation.com/episodes.php
第一話: カール・ポープとヴァン・ジョーンズ
第二話: ボニー・レイットとドロレス・フエルタ
第三話: アンソニー・ロメロとアヴァ・ロウェリー
第四話: ピート・シーガーとマジョラ・カーター
第五話: トム・ハイデンとナオミ・クレイン
This Brave Nation
Carl Pope & Van Jones
Bonnie Raitt & Dolores Huerta
Anthony Romero & Ava Lowery
Pete Seeger & Majora Carter
Tom Hayden & Naomi Klein
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nukefree.org
https://100voices.wordpress.com/2007/10/13/nukefreeorg/